よく、お笑いのコントで、お年寄りの物まねで腰の曲がってしまったおばあさんの物まねを見たことがあると思います。
そして、デフォルメされているとはいえ、それでも本当にそんな感じに曲がってしまったような方がよくいるからこそ、物まねとして成立するという事実があると思うんですが、
それを見た全ての人は、そうなってしまっている人も含めて、そういう姿勢になりたくないと思っています。なりたいと思っている人はまずいないでしょう。
でもだれもなりたくないと思っているのになぜ、多くの方があのように曲がっていくのでしょう。
おそらく本人も人からいわれたり、自分でも曲がってきたなと思った時点で何とか姿勢を治そうとすると思います。
もちろん、年齢とともにどうしても筋力は衰え、遺伝もあると思いますし、骨の曲がっていく病気や、背骨の圧迫骨折など、避けられない事があるのは事実だと思います。
しかし、一定のレベルで、悪化の過程では、本人の意識が相当関与していることも事実ではないかなと思います。
背中が曲がってくると、ほぼすべての人はどうするでしょうか。
背中が曲がってしまった過程はどうあれ、なんとか伸ばそうとします。一生懸命胸を張ろうとします。
背中が曲がってしまったきっかけや、背景があるのにもかかわらず、その背景を無視して形だけを整えようとします。
つまり頑張るわけです。
当然頑張りですから長続きしません。
その上、曲がる理由、曲がっている場所、曲がっている様態が人それぞれ違っているのが普通ですが、それらも基本的には、誤解されたり、無視してしまっているので、曲がったところは動きません。
例えば、一番は背骨を伸ばしたいのに、伸ばしてるつもりが、背骨は伸びず、肩甲骨を寄せ(内転)、両腕を後ろに引くだけになってしまいます。
腕が後ろに行くと、肩甲骨は内転させようとしても、前に倒れやすくなり、いわゆる前肩になりやすくなります。
肩甲骨が前に倒れるという事は、益々上半身が前のめりになる力が働くので、さらに背中が曲がりやすくなってしまいます。
それをさらに止めようと、一番動きやすい腕を、より強く引いてしまう事でさらに胴体が前に倒れるという悪循環が起こってしまいます。
なりたくないのになってしまうという一番の理由ですね。
必死になって頑張れば頑張るほど、いい姿勢からは遠のき、不具合が増長されます。
つまり自分で自分の首を絞めているようなものです。
頑張ることが良い事だとしても、頑張るポイントがずれてしまっています。
それに気が付かないということが一番の原因ですね。
こうやって書いてみると、人の身体の中で起こっている事のようですが、中国を発端とした、社会で起こっている今の現象と酷似していますね。
ウイルスという目に見えないものを無理やり抑え込もうとすることで自分で自分の首を絞めているように見えますね。
大事な事は実相を良く見極めるということです。
守りたい気持ち、頑張りたい気持ち、度を超えた恐怖、一刻もはやく体裁を取り繕いたいといった感情は、間違ったメッセージ、毒になる場合も多いということですね。